液晶越しの世界
2010/11/18 Thu. 14:58 [日常・瀟洒な戯曲]
単芝の「w」がいつからか中傷されるようになった。
元々「笑い」の略語で、WARAIの頭文字を取り。皆が「w」を多用し始めた。「笑い」と打つのが面倒になった証拠だろう。この流れが蔓延し、感情表現に「www」と多数使うことで大笑いの表現に発展するまで時間はかからなかった。だが、今では。単独で「w」。俗に言う芝を一つだけ使う事が誹謗中傷の対象になった。本来の目的から急速に脱線していく姿が、僕には酷く滑稽に見えた。
「それと、旦那様。幸子ちゃんと…その…するのは構いませんが、台所ではやめてくださいね。言ってみれば、この台所は私のお城みたいなものですから。」
「実は内心、追い出されるんじゃないかと思っていました。幸子ちゃんとのラブラブ生活に私はいらないと言われたら…私どうしようかと…でも良かったです。これからは夜のお世話は幸子ちゃんに任せることにしますね。旦那様が小さい子が良いと言うなら、これは私にはどうしようもないことですから。幸子ちゃん、お願いしますね。私は旦那様のお世話をさせてもらえるだけで幸せですから。」
押しかけ女房は存在しない。
と思っていたが、案外そうでもない。僕の知人…と言ってもかなり年上だが…とにかく彼は歪めたわけでもなく、籍を入れるわけでもなくただ同棲生活をしている女性がいるそうな。世の中混沌としているが、僕らの様にたかが二十数年間しか生きていない、言わば貨幣や価値の変動も経験していない一般市民が世間を論じるなどあまりにも滑稽だということの証明かもしれない。
先日、
外国の事を書いた際にコメントで「それは偏見だ」と一喝された。正しくその通りである、私は現地の国に直接行ったことが無いのだから知る術は所詮ネットやマスメディアだけだ。嘘か本当かも実際に国に行っていないのだからわかるハズもない。私もまだまだ無知ということである、おおきな反省点だ。
しかし、問題なのは真偽を確かめる事でないのも同時に理解しているつもりだ。私がどこかで刷り込みをされていたのかもしれない。それに気付けただけでも小さな一歩をまた踏み出せたと感じる。全てに疑いを持つことや真偽を確かめる事は大事だとは思うものの…それに振り回される自分は傍から見ればちっぽけにも思える。
宗教、政治、社会、全てが私の見えない所で動いてはいるが。全てを架空の物語だと思えればどんなに幸せか。私の足りないの脳ミソでは、画面の中だけで動いているそれらをただただ眺め、自分の生きる道への一つの糧になってるだけに過ぎない。無論。私がその表面上の世界に足を踏み入れていないだけという話ではあるのだが…膨大な情報は時に私の身を焦がすばかりである。
元々「笑い」の略語で、WARAIの頭文字を取り。皆が「w」を多用し始めた。「笑い」と打つのが面倒になった証拠だろう。この流れが蔓延し、感情表現に「www」と多数使うことで大笑いの表現に発展するまで時間はかからなかった。だが、今では。単独で「w」。俗に言う芝を一つだけ使う事が誹謗中傷の対象になった。本来の目的から急速に脱線していく姿が、僕には酷く滑稽に見えた。
「それと、旦那様。幸子ちゃんと…その…するのは構いませんが、台所ではやめてくださいね。言ってみれば、この台所は私のお城みたいなものですから。」
「実は内心、追い出されるんじゃないかと思っていました。幸子ちゃんとのラブラブ生活に私はいらないと言われたら…私どうしようかと…でも良かったです。これからは夜のお世話は幸子ちゃんに任せることにしますね。旦那様が小さい子が良いと言うなら、これは私にはどうしようもないことですから。幸子ちゃん、お願いしますね。私は旦那様のお世話をさせてもらえるだけで幸せですから。」
押しかけ女房は存在しない。
と思っていたが、案外そうでもない。僕の知人…と言ってもかなり年上だが…とにかく彼は歪めたわけでもなく、籍を入れるわけでもなくただ同棲生活をしている女性がいるそうな。世の中混沌としているが、僕らの様にたかが二十数年間しか生きていない、言わば貨幣や価値の変動も経験していない一般市民が世間を論じるなどあまりにも滑稽だということの証明かもしれない。
先日、
外国の事を書いた際にコメントで「それは偏見だ」と一喝された。正しくその通りである、私は現地の国に直接行ったことが無いのだから知る術は所詮ネットやマスメディアだけだ。嘘か本当かも実際に国に行っていないのだからわかるハズもない。私もまだまだ無知ということである、おおきな反省点だ。
しかし、問題なのは真偽を確かめる事でないのも同時に理解しているつもりだ。私がどこかで刷り込みをされていたのかもしれない。それに気付けただけでも小さな一歩をまた踏み出せたと感じる。全てに疑いを持つことや真偽を確かめる事は大事だとは思うものの…それに振り回される自分は傍から見ればちっぽけにも思える。
宗教、政治、社会、全てが私の見えない所で動いてはいるが。全てを架空の物語だと思えればどんなに幸せか。私の足りないの脳ミソでは、画面の中だけで動いているそれらをただただ眺め、自分の生きる道への一つの糧になってるだけに過ぎない。無論。私がその表面上の世界に足を踏み入れていないだけという話ではあるのだが…膨大な情報は時に私の身を焦がすばかりである。