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ジガガガ! 

CPUに知識はあるのか。
与えられたプログラムをマニュアルの通りにこなすCPU。例えるなら、紙に「○○」をして欲しいと命令を書き、それをCPUに与える。するとCPUはその行動をそっくりそのまま「○○」実行する。しかし、その行動を理解して行動をしているのだろうか。漢字変換の様に多用な文脈から予測候補を出す事も可能であるCPU、しかしその漢字の持つ違った意味や本質を理解するには至っていないのではなかろうか。現在、英語の翻訳をPCで行えば、CPUは単語を理解するが文脈を理解するには至っていない。だが、CPUは本当に理解をしていないのだろうか。知識とはなんなのか。情報を無限大に持つのは我々人間の一人一人が存在しなくては有り得ないのではなかろうか。CPUは飽くまでもその橋渡しでしかないのだろうか。

話を変えよう。
僕達はゲームやる際にセーブをする。ひとつのデータに上書きをするのだ。物語は進んでいる、他人が見ればこのデータには何の違和感を感じない。しかし、このセーブデータは厳密には前と同じ存在なのだろうか。同じCPUの媒体に記憶を上書きすれば、それは元の存在をかき消すことではなかろうか。

つまり、
人間のクローンを作り、媒体を第三者が見ても違和感の無いように作成してから。これまでの記憶を塗り替えて、新しく今までの記憶を入れた場合。その人間の自我はどうなってしまうのか。ということだ。

前の記事になるが「ひゅーどろどろどろ
で説明した記憶のあり方。その考え方もこれに当てはまると思う。我々が脳で全てを動かしているなら、CPUが人になる時は必ず来るでしょうし。それがこなければ、人間は本質がまた違うものにあるという証明になるのです。霊魂の存在…か。ぜまぜま。

テーマ: 哲学/倫理学

ジャンル: 学問・文化・芸術

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